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少なくとも七○年代には、結婚するにあたっては、女性が家財道具を準備し、男性は容れもの、つまり家を用意するのが“義務”みたいな考え方があった。 「きみを一生幸せにする」という言葉だけで女性は喜んだりしない。
家を構えてこそ、妻を幸せにする男と胸を張れる。 そんな風潮があった。
夫はそれに素直に従っただけだったのだ。 マイ洗濯機とマイ風呂のある生活がしたいだが当時二十三歳だった私にとって、結婚することは経済的・精神的に親から独立して、生活のパートナーを得ることを意味していた。
私は大学卒業後、あるアパレル・メーカーに就職したものの、情けないことに手取りは十万円を切った。 そのためトイレも洗濯場も風呂も共同で、夜十時が門限という女子寮(それでも寮費は一ヵ月三万円もした)に入らなくては生活していけなかった。
毎日残業をこなし、足をひきずりながら寮の六畳間ほどの部屋に帰って寝るだけの生活だというのに、給料日前の財布には硬貨しか残らない。 デートをする相手を見つけておごってもらわなくては、食事さえもまともにできなかった。
寮には共同の冷蔵庫と流し台はあったが、そのほかの調理器具はない。 当時はまだコンビニ弁当というありがたいものがなく、外食するしかない。

だからやたらと食費がかかって生活を圧迫し、服を買うとか遊びにいくなど考えられもしなかった。 私はいま振り返っても異常に結婚願望が強く、「男を見たら新郎と思え」というくらい鵜の目鷹の目で結婚相手を探していたと思う。
だがその最大の理由は「まともな生活をしたい」という、夫候補者たちにはちょっといえないところにあった。 まともな生活とは、マイ洗濯機をまわせて、マイ風呂に入って、マイテーブルで食事ができる生活。
もし独力でそれらがかなうのであれば、何も結婚をあせることなどなかっただろう。 だが、一九七七年に二十三歳のOLが、東京で風呂付の安全なアパートで一人暮らしをするのはかなり厳しいものがあったのだ。
ちょうどPが大ヒットしているときで、MちゃんとKちゃんが活躍したごほうびに3LDKのマンションを買ってもらったというニュースを聞いたとき、Pくらい働かないと、女性が独力でマンションを買うのは不可能なのだとあらためて思い知った。 そんなことは宝クジにあたるよりも、むずかしい。
OL稼業を十年続けても、マイ風呂のある生活は不可能だろう。 でも結婚して二人で働けば、マイ風呂くらいは持てるのではないか。
私の結婚後の生活設計はそんなささやかな、というか現実的なもので、マイホームなどという大それたものではなかった。 家賃七万二千円のアパートからスタート一方で、夫一人の力でマイホームなど建てられてしまったら、せっかく親から独立できるというのに、また夫の庇護のもとに入れられてしまうかもしれないと恐怖を感じた。
夫一人がお金を出して、夫の好きなように建てられた家は、私にとっては他人様の家だ。 さぞかし息苦しいだろう。
そんなことされたら、それこそ私は夫の建てた家の奴隷になってしまう。 暮らしの場所は、自分がほっとできる“居場所”であってほしい。
大学入学で上京してから五年間、私は親戚の家に下宿したり寮に入ったりと、つねに共同生活を送ってきた。 住めば都とはいうけれど、やはり他人様の家の居候にすぎない。

くつろげる居場所はこれまで見つからなかった。 自分一人の力では無理かもしれないが、家賃を折半すればマイ風呂とマイキッチンのあるアパートに住めるし、「ここが自分の家」と思える棲家が持てるかもしれない。
それを望んで結婚するのに、またもや他人様の家(ではないと夫は主張するだろうが)で共同生活をおくるのはたまらない。 しかもこんどはいやだからといって、そう簡単に別のところに引っ越すわけにもいかなくなる。
自分で稼いだお金でわずかでもいいから家賃を払ったつもりになって生活してこそ、大きな顔をして暮らせるというもの。 私の反対にあった夫は結局しぶしぶながらマイホームのプランを引っ込め、私と一緒に不動産屋をめぐった。
結婚が正式に決まるとほぼ同時に、ターミナル駅から三十分ほどの私鉄沿線にアパートを見つけた。 駅から歩いて十二、三分で、家賃七万二千円。
そこを新居と決めて引っ越した。 当時の私の手取りが九万円ほど。
五歳年上の夫もあれこれ事情があって入社が遅れ、まだそのときは働きだして二年目で、手取りが十三万円ほどしかない。 二人合わせた手取りの三分の一弱が家賃に消えることになる。
部屋は五畳ほどの台所とダイニング、それに六畳と四畳半の和室。 決めた理由は、私の勤務先まで一時間以内で行けることと、駐車場付だったことである。
車通勤だった夫にとって家の前に駐車場があることはありがたく、なおかつ職場へのアクセスがよい幹線道路に近いことも決め手になった。 ただ、生活環境は良好とはけっしていえなかった。

まず、うるさい。 隣が女子校で、昼間は嬌声が響きわたる。
ただ、二人とも働いているので昼間は関係がないといえばなかった。 しかし夜になって周囲が静まると、こんどは幹線道路の騒音が耳ざわりだった。
そしてまた隣人の物音が筒抜けなのだ。 ある夜、私はふと異様なうなり声で目が覚めた。
地の底から響いてくるような声。 隣に寝ていた夫をゆすり起こしているうちに、やんだ。
夫は「前に住んでいた人のたたりじゃないの」と笑うだけで取り合わない。 何回かうなり声に悩まされ、もしかすると本当にたたりではないかと真剣にお祓いを考えたとき、ハタと気づいた。
隣も新婚夫婦だったのだ。 ということは、そうか、そういうことなのか……私は一人で赤面した。
そのうち隣の夫婦のところに赤ん坊が生まれてますます納得。 だがうなり声がやんだと思ったら、こんどは赤ん坊の夜泣きが始まった。

それに日当たりも気になった。 南西の角部屋で日当たりがいい、と冬の間は喜んでいたのだが、夏になると蒸し風呂状態でクーラーなしには一時間たりといられない。
結婚してすぐの夏が猛暑だったこともあり、夫はなんと暑さにあたって高熱を出し、入院する騒ぎまで引き起こした。 一年七ヵ月ほどたったときに契約更新がやってきて、家賃が八千円あがって八万円が提示されたとき、もう少しましな棲家を探そうと、また不動産屋めぐりを始めた。
わずらわしい一軒家「いずれはほしいけれど、まだです」「ぜったいつくらないという主義じゃないんでしょう」「そりゃほしくないとはいいませんけれど」そう答えると出てくるつぎのセリフ。 「子どもはダメってところが多くてね。
若い夫婦はむずかしいよ。 子どもが生まれたら出ていくという条件がつけられると、あんたたちもつらいでしょう」ではないか。
「駅から近く、環境がよくて、静かで、構造がしっかりしていて、お風呂付で、駐車場もついていて、七万円までのアパートはありませんか」「そんないい物件があったら、私が入りますよ」不動産屋はあきれたように私を見て、鼻で笑った。 会社の帰りに途中駅で降りては、不動産屋に飛び込む毎日が続いていた。
思うような物件になかなかあたらない。 東京で賃貸アパートを見つけるのは楽なことではない、とあらためて気づいた。
いま住んでいるところ以上に条件のいいところを見つけようとするから、よけいむずかしくなる。

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